みなさんはIAMAS(イアマス)という学校をご存知ですか?正式名称「情報科学芸術大学院大学: Institute of Advanced Media Arts and Sciences」は、岐阜県大垣市にある大学院大学。先端的技術と芸術的創造の融合による新しい表現者を育成しています。英語名の頭文字をとって名付けられた「IAMAS」という略称は、メディアアート、インタラクションデザイン、サウンドアートなどの分野では昔から広く知られています。
関西からほど近い日本有数のメディア研究拠点でありながら、あまりその実態が知られていないIAMAS。今回は7月25日、26日に開催されていた IAMAS OPEN HOUSE 2015 にお伺いしてきました。「IAMASに来る人、IAMASでできること」をテーマとしたインタビューでは、IAMASの本音をお聞きすることができました。
インタビュー『 IAMASに来る人、IAMASでできること 』
IAMASに来る人はどんな人なのか、そしてIAMASでできることは何なのか。音響学とインタラクション・デザインに基づく研究、発表、演奏を行う中で、常に新たなメディア表現を探求する城一裕先生(城先生も出品されたマテリアライジング展レポート)。そして、今年4月にIAMASでの研究をスタートさせた、1年生の佐野さんと松野さんにお話をお伺いしました。
ーオープンハウス大盛況ですね。早速ですが、城先生とIAMASとの出会いを教えてください。
城一裕 (38歳) IAMAS講師
福島県会津若松市生れ。茨城県日立市育ち。九州芸術工科大学(現九州大学)で音響学を学ぶ傍ら、IAMASで行われたMSP/DSPサマースクール(1999/2001)に参加。人生の転機となる。その後外資コンピュータメーカーで開発職として2年間勤務ののち、博士課程、海外留学、都内の大学での勤務を経て2012年4月より家族とともに大垣在住。IAMASでは2014年のキャンパス移転に伴う領家町祭のプロデュースなどを手がける。つい最近、博士(芸術工学)を取得。
城:IAMASで行われたMSP/DSPサマースクールに1999年から2002年くらいまで参加して、それが人生の転機となりました。Maxというソフトウェア(音楽とマルチメディア向けのグラフィカルな統合開発環境)を中心としたサマースクールで、全国各地から新しいテクノロジーと表現の両方に興味を持つ人々が集まりました。
MaxではOption+Clickを押すとヘルプが出てくるんです。当時、同じ名前のオンライン掲示板があって、そこで知り合った人たちにIAMASでのサマースクールを通して出会えました。身の回りに本当に友達少なかったので嬉しかったですね(笑)プログラミングで友達が出来るということを知る、素晴らしい機会となりました。
車輪の再開発プロジェクト「Train-Train」(具志堅裕介)電車の形に切り抜かれた盤から流れる走行音
ーコンピュテーショナルアートの黎明期に、IAMASがそういったコミュニティのハブとして機能していたんですね。
城:そうですね。当時学校の友達に「これすごいじゃん!」って言ってもあんまり興味を持ってくれなかったんですけど、IAMASのサマースクールに来たら、専門的な話だけじゃなくて、なにかと会話が弾むんです。奇跡でしたね。
ーそれで2012年に講師として戻ってくることになったんですよね。いかがですか?
城:当時雲の上の存在だった赤松先生,三輪先生(お2人はサマースクールの講師)と同僚というのは感慨深いです。僕はまだペーペーですけど(笑)
ー松野さんはIAMASにいらっしゃる前はどのようなことをされていたんですか?
松野:新卒で入った会社が楽天で、大きな既存のシステムを元に一からウェブサービスを学べたのは良かったんですけど、ゼロベースで何かを作る機会がなかなか得られませんでした。そこで、退社してからアジア発のウェブサービスを生み出したいと考えて、マレーシアでの起業を選択しました。具体的にはミャンマー向けのリクルーティングサービスです。
松野峻也(26歳)2015年入学
ウェブプログラマー。青山学院大学で英文学を専攻したが、インターネットの面白さに気づき国内ECサイトに就職。2年間開発業務を経たのち、マレーシアにて起業。あまりうまくいかないところを日系の会社に拾われ、その会社の社長からIAMASの存在を知る。テクノロジーとエンターテイメントについて学ぶため2015年よりIAMASに入学。
ーマレーシア、意外です。それからIAMASをどのようにご存知になったんですか?
松野:お世話になっていた情報系のコンテンツに詳しい方がいて、ライゾマティクス(※1)なんかの話をする中でIAMASをご紹介いただきました。
※1 真鍋大度(2004年卒業),斉藤精一,千葉秀憲によって2006年に設立,IAMAS卒業生が多数在籍している
ー佐野さんもどこかで働かれていたんですか?
佐野:広告代理店で営業をしていました。元々、コミュニティとかメディアとかに興味があって、面白いものを作れる人がもっと評価されるような仕組みができないかなと考えていました。広告を売る以外の広告会社の役割、クリエイターが集まる生態系のようなものに興味があり、注目して考えていきたいと思っています。
佐野和哉(24歳)2015年入学
北海道のド田舎、遠軽町出身。高校卒業まで地元で育つ。大阪大学工学部にて機械工学を学ぶかたわら、陸上競技に打ちこむ。卒業後、東京の広告代理店にて営業として2年間勤務。地元を勝手に宣伝する音楽イベント「ENGARU」を開催する。テクノロジーと社会の間で何ができるか深く学びたいと考え、IAMASに入学。
ー佐野さんと松野さんはどうやってIAMASへの進学を決められたんですか?
松野:そうですね。僕は2014年のオープンハウスで先生と実際にお話しして決めました。音楽体験の拡張を研究するNxPC.Labを主宰する平林先生と考え方が近いなと思いまして。Webではほとんど情報はなかったですね。
佐野:僕も2014年のオープンハウスに来て、先生とお話ししました。その頃は、仕事は3年くらいやったほうがいいんだろうなと漠然と考えていたんですけど「早めにやったほうがいいこともある」と思い立ち、改めて先生と直接お話させて頂いて、2月の後期試験を受けました。
ーなるほど、実際に制作環境を見て、教員の方と話して、価値観を共有することって大切ですよね。
城:オープンハウス期間じゃなくても、ウェブフォームで直接連絡していただければ対応するので大丈夫ですよ。
佐野:イアマ速報にご連絡いただいても対応しますよ!
ーそうなんですね!受験生には朗報です。試験はどういう形式ですか?
城:ポートフォリオと小論文、それに面接です。ポートフォリオではこれまでに何をやってきたのかを見ます。小論文では論理的な思考力を判断しますね。そして、僕が最も重要視しているのは面接です。作る力がある程度のレベルに達している場合、実際に話してみてやる気を確かめたい。やりたいことについて、ちゃんと調べているということも大事ですね。10年前の卒業生のやってることを見て「僕も同じことをやりたいんです」というのはあんまり面白くない。
ーなるほど。しかし、こうやって様々な背景や問題意識を持って入学してくる学生をサポートするのは、先生にとっては非常に難易度が高いように思います。普通の大学院では入学する前に教授の研究テーマから選ぶのが普通ですし。
城:そうですね。IAMASでの修士研究では、学生1人に対して主査が1人、副査が2人、計3人体制で学生をサポートします。主査になるとほぼ毎週、各担当学生と1時間程度のミーティングをして、研究内容を話し合っていきます。これは教員1人あたりの学生数が少ないからこそできることですが(学年ごとだとほぼ1対1)、僕としても、異なる専門を持つ先生方と議論しながら学生とともに学んでいくのは、とても興味深い作業になっています。
ーだから来てからテーマを考えて2年で成果が出るんですね。なんだか羨ましいです。
城:サポートといっても実際に手は貸しませんけどね。そうしないと勉強にならないので(笑)一点注意すべき点としては、今、IAMASには19人教員がいて、修士研究の中間発表など、事あるごとにその全員からアドバイスをもらうことになります。それ自体は貴重な機会なんですけど、異なる視点からの意見をすべてを聞いていたら、本当に自分が何をやりたいのかわからなくなってしまう。だからちゃんと取捨選択しないといけないんです。
佐野:1年の前期にモチーフワークという導入科目があって、内容や作るものは毎年違うんですけど「自分のコンパスを持つ」というのがテーマなんです。
ー社会に出て誰も知らない世界を作っていく上で、何を信じていくのかを決めることが、何を作るかと同じくらい大切なんですね。
ーIAMASは社会経験を持つ学生も多いですよね。
城:年によっても違いますが、学部から直接来る学生は半分から1/3くらいですね。20代後半が一番多いです。2-3年働いてとか、作家活動やってとか、僕より年上の学生も3-4人はいますね。
ー社会経験を経て進学するメリットというのはどういう部分でしょうか?
城:やはり、その人の背景ですね。社会経験のある学生と話してると「過去のことは過去のことで、IAMASでは新しいことをやりたいんです」という人が多いんですけど、僕は個々人が培ってきたバックグラウンドを生かしてほしいと思ってます。例えば、僕は松野くんみたいにマレーシアで起業したことはないので、その苦労はぜひ教えてほしい。
松野: はは。
城:そういえば、IAMASには海外からの学生もたくさんいます。この春の卒業生の約2割は留学生(ロシア・ウイグル・メキシコ・韓国)でした。その他、リンツ美術工芸大との交換留学もあるので、キャンパス内には常に何人かは外国人がいる環境ですね。
ーどこにそんなネットワークが(笑)しかし、こういう違う背景を持つ人との出会いは貴重ですよね。卒業してからもその繋がりは続くんですか?
佐野:この前、菅野創さんがいらっしゃった時にお話しをお伺いしたんですが、卒業してからIAMASネットワークに助けられることが沢山あるっておっしゃってました。
城:卒業生同士で起業するケースも結構あります。来年で開学20周年になりますが、毎年1社くらいは起業しているんじゃないでしょうか。同級生やその前後の学年2〜3名で会社を立ち上げるので、起業率は大体15%くらい。ちょっとシリコンバレーみたいですよね(笑)専門は違うけれど土台を共有しているから、社会に出てからも様々な場面で一緒に働ける。これはIAMASの特徴の一つだと思います。
地域とIAMAS
ーIAMASでは根尾コ・クリエイションや美濃のいえなど地域連携型のプロジェクトがここ数年で多く立ち上げられています。IAMASにとって地域プロジェクトってどういうものなんですか?
城:メディア・地域・鉄道というプロジェクトを例にご紹介します。IAMASに来る前から、人ではなく装置やシステムが奏でる音楽を考える「生成音楽ワークショップ」という活動をしていました。ちょうど僕がIAMASに来た2012年、三輪先生が東京のサントリーホールで開催されるジョン・ケージ(実験音楽の巨匠)の生誕100周年記念イベントに関わられていて、その関連で何か出来ないかとお話を頂きました。そこで、色々と考えて行き着いたのが「失われた沈黙を求めて(プリペアドトレイン)」という作品です。
この作品は、もともとジョン・ケージが1978年6月26〜28日にボローニャ音楽祭の一環として開催したものです。鉄道の車体に仕掛けたマイクから拾った音を、車両の外側につけたスピーカーで流し、内部では演奏家によるパフォーマンスをしたり、地元の食べ物を振る舞ったりしたそうです。
サントリーホールだったら東京メトロかな、と冗談交じりで妄想をふくらませていたところ、他の先生から「樽見鉄道だったら出来るかも」とのお話をいただきました。ダメ元で連絡を取ってみたところ、担当の方の第一声が「いつですか!」
ーいきなりスケジュール調整ですか(笑)
城:そうなんです。営業部長の方が以前からIAMASのことをご存知で、何か機会があればコラボレーションしたいとのお考えだったみたいなんです。結局、専用ダイヤまでひいていただいて、2012年のIAMASのオープンハウス / Make Ogaki Meeting 2012で再演しました。
オリジナルにできるだけ忠実にということで、車体に仕掛けるマイクロフォンとスピーカーはもちろん、公募したパフォーマーによる演奏も行い、大垣市の名物味噌せんべいや、サイダー、水なども協賛としてご提供いただいて、地元の食べ物を振る舞いました。この作品の再演を皮切りに樽見鉄道とIAMASとのコラボレーションが始まり、現在では岐阜県内の他の鉄道会社も加わって、メディアとしてのローカル鉄道を考えるプロジェクトになっています。
ー普通に考えると、安全性とか責任問題とかいろいろ複雑になりそうですよね。
城:地域の人が、IAMASとの関わり方を他大学とは少し違った形で考えてくれているから、普通の地域系の学科だと真似できないようなこともできるんですよね。僕としては、IAMASだからこそできることをとことん追求する。守りに入るんじゃなくて、攻めた方がいいと思っています。そして大学院大学として、その成果をちゃんと文章として残し、実践ベースの研究として発表していくことが大切だと思っています。
ーこういう社会的な取り組みを通して、IAMASの研究内容も多様になってきていると思うのですが、アカデミー時代(※2)のIAMASと大学院大学のみとなった今のIAMASはどのような変化を感じますか?
※2 IAMASは1996年に専修学校である岐阜県立国際情報芸術科学アカデミー(International Academy of Media Arts and Sciences )として開学している。2001年にはアカデミーの一部コースを改変する形で大学院大学を併設。なおアカデミーは2012年3月をもって廃止され、2012年度以降は大学院大学のみで運営している。
城:アカデミーには、高校を卒業してそのまま来る人もいれば第一線のアーティストもいたり、学位も無いので卒業論文も書かなくてよかったりと、良くも悪くも今以上に多様(笑)だったと思います。大学院のみになってからは名実ともに研究機関としてカタチになったことで、社会との距離も近くなってきているように感じます。前は本当に治外法権のような場所で、他と違いすぎたから「何言ってんの?」で理解してもらえないことも多かったんですが、今ならわかってもらえる。
ー研究機関として社会性を担保することで、ラジカルと捉えられがちな先端的な研究を、社会の中で実践できる環境が整いつつあるんですね。IAMASにしかできない地域との関わり方がまだまだありそうです。
城:僕はそうやって他にはできないことをやり続けることが、メディア表現研究科という専攻を持つ大学院大学としてのIAMASの価値だと思うんです。メディアに対する批評性を持ち続けるとも言えるかもしれません。先ほど鉄道の例を出しましたが、その場合のメディア自体も時代とともに変わると思います。
佐野:こういう言い方が正しいかどうかわかんないんですけど、高性能なコンピュータやデバイスが普及して、インターネットによって知識が簡単に手に入る時代ですよね。昔はIAMASにしかできなかったことが、機材やノウハウの面では誰でもできるようになってきていると思うんですよ。
さっきの批評性って言葉を聞いて、日本メディアアート史という本の最後にある一文を思い出しました。「結局、テクノロジーに囲まれて生きるぼくらの新しい生き方や世界観をラジカルに提案できるIAMASの力が問われている」三輪眞弘(馬定延、日本メディアアート史、アルテスパブリッシング、2015、p.342-344)
ーIAMASのように、領域の境界に生きて新たなメディア表現をカタチにする組織と、地域社会がどのようなコラボレーションをしていくのか。社会のIAMASに対するイメージのアップデートが必要なように思います。
佐野:未だに曖昧に「IAMASはメディアアートだよね」と思われている気がしますよね。
城:広い意味ではそう呼んでもいいのかもしれないけど、俗に言うメディアアートじゃないよね。IAMASっていうのは、たぶん専門職大学院とかの真逆なんです。分野が確立されたら、それはもうIAMASでやらなくていい、だってIAMASは領域を作る場所なんだから。
ーそれすごく魅力的です。新しい領域を作りに来る人、自分が目指すことがあるけど、今の社会にないって思っている人に来て欲しいですね。メディアに対しての批評性を持って、新たな表現を探求、実践していくIAMASの今後に期待です。
<インタビューあとがき>
IAMASには、いつでもどこからでも来ることができます。年齢や背景は関係ありません。1つだけ必要なことは、今の世界の在り方への問いを持っていることです。若い世代にとってはインターネットなど、今ある大半のメディアは気付いた時にはあるもので、その誕生すら知りません。もしくは、出会った瞬間の驚きを忘れてしまっているだけなのかもしれません。「メディアの批評性」というコンセプトは、改めて情報と私たちの関係にカタチを与えて、その違った在り方を模索するきっかけを与えてくれます。実際にお話をしたことで、メディアの誕生に立ち会う大切さと、その面白さに気づくことができました。
【近日開催のIAMAS関連イベント】
1. IAMAS ARTIST FILE #03「BEACON2015 – LOOK UP! みあげてごらん -」
会場:岐阜県美術館 展示室3
会期:2015年9月1日(木)―10月12日(月・祝)
開館時間:10:00~18:00(9月18日は夜間開館日、20:00まで開館)
2.「サラマンカホール電子音響音楽祭 – 歴史・現在・子供たちへ – 」
ぎふ 秋の音楽祭2015[現代音楽の日]
会場:サラマンカホール、ふれあい福寿会館、岐阜県図書館、岐阜県美術館
会期: 2015年9月11日(金)―9月13日(日)
3.「オープン・スペース 2015」
車輪の再発明プロジェクトが参加
会場:NTTインターコミュニケーション・センター
会期:2015年5月23日(土)―2016年3月6日(日)
開催時間:11:00〜18:00
ライター: 辻勇樹
1986年兵庫県生まれ。慶応義塾大学政策・メディア研究科卒業。大学院で義足デザインの研究に携わり、社会的にデザインの適応が難しい分野に興味を持つ。卒業後、発展途上国でのプロダクト開発に従事。退職後、約1年アメリカで語学を学び、帰国。現在はKansai Art Beat PRスタッフのほか、京町家アーティスト・イン・レジデンスのサポーター、フリーランスデザイナーとしてプロダクト、ウェブ、グラフィックなどのデザインと日英翻訳を行う。デザイナーが気になる情報を拾い上げたい。